恋するデザイン図鑑

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2009年 01月 16日

人は、パッケージで商品は買わない。

アイデア探しに古い広告批評をパラパラめくっていて、毎号、面白い巻頭論文?を寄稿している橋本治が、2003年3月号では経済問題を取り上げ「アメリカは、住宅価格の値上がり分を担保にして金を借り、国をあげて借金でもってイケイケ・ドンドンで消費している状況だ。これってバブルッて言うんだよね」ということを言ってから「バブルは必ずはじける!ことをバブル崩壊では世界の最先端を行く(泣く)日本の国民として宣言しておきたい」と、まあ、今日から見ると鋭い指摘と予言を5年前にしていた。まるで文学界の金子勝教授だ。その他、ブッシュのイラク侵略には当然の事ながら、これはもう呆れ果てていた。

ところで、パラパラとめくった理由は、この頃、何か目新しかったクリエイティブがなかったものか探していたのだが、やっぱりなかったね。唯一のネタはタグボートが開発の段階から関わって商品化までやったという、当時話題のキリンのG.G.Tea。プリトニーをCMに使って「どうだ、まいったか!」という自信満々の、これもイケイケ・ドンドンの勢いだったが、そう言えば、最近はおろか、ずいぶん前からあのオシャレなデザインを見かけた記憶がない。ちなみにネットの掲示板で街の声をさぐってみると、発売は2003年4月なのだが、その1ヵ月後の5月には早くも

「G.G.TEAのソーダは紅茶の味がほとんどしないですよね、ジュースっていう感じです。そして何よりデザインが素敵。好きですが、あまり周りで見かけなくなりました(早っ)。」「 ほんと、見かけなくなりましたね。昨日も突然飲みたくなってコンビニに行ったのにGGはもちろん、Liptonもありませんでした・・・(涙)」等のカキコが。

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今は昔なのか、キリンのG.G.Tea


人は、パッケージで商品は買わない。僕の場合も例えば、買った本は、まずカバーをはずしてから本棚に並べることにしている。ほとんどのカバーデザインが主張過剰でその結果チープになっているし(きっと、気の毒なほどデザイン料もチープなのだろう)、カバーを取った方がシンプルで気持ちがいい。最近、ただ一つ、カバーも大事にして読んだのは、池澤夏樹個人編集の世界文学全集。第一に、飽きが来ない。それに加えてこの場合、外が内を語り、内が外にまで透過する仕掛けになっているような上質なデザインコンセプトによる一連のカバーデザインが商品(この場合は文学としての価値)と同じくらいのレベルまで上昇し、見事に肩を並べて僕の本棚に収まっている。と思うのは僕だけだろうか。

もちろんのことだが、ホタルイカもうまい。

http://www.hirose-sadahiko.com/2010/03/post-6608.html


b0135738_637671.jpg眼にも気持ちいい、
池澤夏樹個人編集の世界文学全集

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by elnes | 2009-01-16 06:41 | ウィークリーアド
2009年 01月 12日

無智は幸せを呼ぶか?「英国王 給仕人に乾杯!」

b0135738_732231.jpg年末に岩波ホールで観たグルジア映画「懺悔」について、その感想を書くこともないままに、今度はチェコの「英国王 給仕人に乾杯!」を観て来た。先立ってこの映画紹介を読むと“チェコの映画界を代表する世界的な巨匠イジー・メンツェル”という有名な監督の作品だそうである。(ここでの「世界的な巨匠」の世界的とは、たかがヨーロッパ的、せいぜい大きく見積っても欧米的という意味だと思う)そしてチェコ、共産主義政権というパンフレットの単語からは自然とあのミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」が思い浮かべられ、この映画の時代背景もナチス占領時代のを含んでおり、そうなるとこれは、その後のチトー政権、そしてプラハの春を経たスターリン主義による抑圧というチェコの現代史が、激しかった戦争と革命の時代に流され続けた一人の給仕人を通して語られるきわめて格調高い「大・大・大河ドラマ」なのだろうと、勝手に勘違いをし、その意味では、圧倒的なロマンを期待してしまったのだが、そして、そのワクワク感は映画が始まってほんの数分であっさりと破られてしまったのだが、困難の連続だったに違いない自らの歴史をここまで皮相的に、パロディーとして面白おかしく、いわば乾いた涙目で撮るという、監督のその大胆な転換された態度には、予想もしなかった意外性や興味深いものが次第ににじみ出るようで、一概に否定はできない、何かこう、チェコの重みを感じ取ってしまわない訳にはいかなかった。

おそらく、この皮相さは表層に過ぎず、その面白おかしさの底の方にある、厚い地層の下を流れている歴然とした存在に繋がっているのだろう。その「歴然とした存在」とは例えば、ナチスによるチェコ占領に拒否を貫き通し、やがては逮捕されるであろう予感を確信していながら、運命のその日、時計や胸の内ポケットから取り出した財布を同僚に預けた後、自ら連行される、ちょっとかつてのオマー・シャリフが歳をとったような精悍な顔だちの、主人公の上司でもある当時のチェコでも最高級ホテルの主任給仕人。彼の存在がそうなのであり、この視点こそが重要だったのではないか。

なお、この「英国王 給仕人に乾杯!」にはちゃんとした原作があり、しかもそれは欧米ではベストセラーにもなっており、更にあのミラン・クンデラが“われらの今日の最高の書き手”と賞賛を惜しまなかったボフミル・フラバル(1914-1997)というチェコの国民的人気作家の作品なのだそうだ。また「英国王 給仕人に乾杯!」というこの題名も“ソ連であれヒトラーであれ、支配者が絶対に許さない、不埒な抵抗精神を明快に表明した”ものである、と公式サイトにはある。

post-script:実はこの映画、監督の個人的にして普遍的なテーマの一つなのであろう、「天国館」をはじめとして、官能美に満ちあふれた女性達が次々と男どもの遊びの対象として絶えることなく登場するのだが、ここが女性から観ると決して許せない「あまりにもヒドイ女性の描き方」だそうである。そうなると、この映画にはもう一つのテーマが姿を表してくるようだ。つまり、こんな具合に愛のカケラもなく女性達を扱い、交わるブルジョアジーのオヤジ達と、たまたま知り合った女が実は、ナチスにカルト教徒的にかぶれてしまったドイツ系女であり、チェコ国民でありながら、そんな最悪の女と結婚してしまった挙げ句、金儲けのことしか頭の中になかったために、チェコ侵略というドイツの戦争犯罪の片棒をいつの間にか担がされてしまった主人公とでは、どちらが罪深いのか?または加害者なのか?被害者なのか?

ここで関連して考えるのは、
●ヤスパースの戦争犯罪と4つの分類
●小林秀雄の終戦後の発言(ちょっと長いが、引用しておく)
「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしてゐない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起こらなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然といふものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさへなければ起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観はもてないよ。僕は歴史の必然性といふものをもっと恐ろしいものと考へてゐる。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいぢゃないか」(小林秀雄p368江藤淳著)

この映画に関する限り、ブルジョアジーのオヤジ達も、戦後それこそ瞬間芸的につかの間のブルジョアジーに変身した主人公も、同じように反革命として刑務所行きとなる。そしておそらく、かつてのブルジョアジーのオヤジ達は刑務所の中で、彼らの人生をくたばってしまい、主人公は・・・・
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by elnes | 2009-01-12 07:46 | ムービー